歩道と車道をつなぐ
ある本を探して書店の医学関係のコーナーを探していたら Rory A. Cooper の "Wheelchair Selection and Configuration" の訳本の『車いすのヒューマンデザイン』*1(医学書院)を見つけました。車輪を使って移動するものが研究の対象のため、入手しました。そして、数日後、所用で豊田市にでかける機会があり、その街中の歩道と道路部分の処理を見ました。その2つのことで以前から疑問に思っていたことが、また、頭をもたげてきましたので紹介します。 若くてもちょっとした段差につまづくことがありますし、加齢によって脚の運びが思うにまかせなくなったり、視覚に衰えがくるとなおさらです。「自分の不注意」とつい考えがちになるのですが、本当に「不注意」だけで片付けてよいのでしょうか? 人を取り巻く街の環境に問題はないのでしょうか? 下の2枚の写真はアメリカ合衆国の道路と歩道の部分の処理です。コンクリートで段差がないように処理されています。車椅子の場合、ちょっとした段差でも乗り越えが大変ですので、写真のように平坦に仕上げられていると移動は容易です。
道路建設関係の人に聞いたことがあるのですが、私の「なぜ?」という質問に対して曖昧な答えしか、得られませんでした。そこで「日本ではどうしようもないのかなあ」という気持ちになっていたものです。 このことで考えたのが、(行政の)現場が国、県、市など縦割りの構造の中でそれぞれが自分の範囲だけやっていればよい」という考えにおちいって、本来、最も優先して考えねばならない「そこを移動する人たちのこと」に対する配慮が欠落しているのではないか、ということでした。各組織が縄張り意識などをもたず、人を中心に考えて協力して設計・施工にあたれば使いやすく街づくりができ、(縦割り行政による)コストの無駄が削減でき、補修コストも少なくて済むと考えられます。
*1: 訳本は完訳でなく、電動車いすに関する部分が削除されています。英語を読むことが負担にならない方はそちらを取り寄せられるのがよいと思います。 【文献】 Gary O. Robinette : "Barrier free exterior design: anyone can go anywhere", 1985, Van Nostrand Reinhold
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