歩道と車道をつなぐ

 

 ある本を探して書店の医学関係のコーナーを探していたら Rory A. Cooper の "Wheelchair Selection and Configuration" の訳本の『車いすのヒューマンデザイン』*1(医学書院)を見つけました。車輪を使って移動するものが研究の対象のため、入手しました。そして、数日後、所用で豊田市にでかける機会があり、その街中の歩道と道路部分の処理を見ました。その2つのことで以前から疑問に思っていたことが、また、頭をもたげてきましたので紹介します。

 若くてもちょっとした段差につまづくことがありますし、加齢によって脚の運びが思うにまかせなくなったり、視覚に衰えがくるとなおさらです。「自分の不注意」とつい考えがちになるのですが、本当に「不注意」だけで片付けてよいのでしょうか? 人を取り巻く街の環境に問題はないのでしょうか? 下の2枚の写真はアメリカ合衆国の道路と歩道の部分の処理です。コンクリートで段差がないように処理されています。車椅子の場合、ちょっとした段差でも乗り越えが大変ですので、写真のように平坦に仕上げられていると移動は容易です。


Berkeleyの街角


Stanfordの街角

 

 次に右の写真は住まいの近くの歩道と道路をつなぐ部分です。段差を少なくしようという処理ですが、元の施工が悪く、補修も悪いためか、凹凸がいっぱいあります。この部分を上の写真のようにコンクリートで一体として設計・施工すれば、スムーズな仕上がりで歩きやすく無用な補修コストをかけないで済むはずです。


 下の写真はやはり住まいの近くの雨水排水用のU字溝が埋め込んでいる部分と、段差となる部分の拡大です。道路側にこのような構造物がない場合も同様なのですが、歩道側を道路より高くしようという設計が多くみられます。たぶん、歩道側の縁石の端面の曲線を考えてのことだとと思いますが、わざわざ段差を作らねばならない理由があるのでしょうか? 曲線のついていない縁石を使えば面一の納まりとできるはずですし、ちゃんとした施工ができればこのような場所で雨で水たまりが歩道側にできることも防げるはずです。

 道路建設関係の人に聞いたことがあるのですが、私の「なぜ?」という質問に対して曖昧な答えしか、得られませんでした。そこで「日本ではどうしようもないのかなあ」という気持ちになっていたものです。
 下の写真は豊田市で見つけた歩道と車道の境界部分の処理です。みごとに面一に処理してあり、段差もありません。「できるのですね!」

 このことで考えたのが、(行政の)現場が国、県、市など縦割りの構造の中でそれぞれが自分の範囲だけやっていればよい」という考えにおちいって、本来、最も優先して考えねばならない「そこを移動する人たちのこと」に対する配慮が欠落しているのではないか、ということでした。各組織が縄張り意識などをもたず、人を中心に考えて協力して設計・施工にあたれば使いやすく街づくりができ、(縦割り行政による)コストの無駄が削減でき、補修コストも少なくて済むと考えられます。

 

*1: 訳本は完訳でなく、電動車いすに関する部分が削除されています。英語を読むことが負担にならない方はそちらを取り寄せられるのがよいと思います。

【文献】

Gary O. Robinette : "Barrier free exterior design: anyone can go anywhere", 1985, Van Nostrand Reinhold