昭和45年(1970年)頃の南流山地域

 

 昭和45年頃、区画整理された地域にある数少ない建物のひとつが宮田鉄工所でした。「当時は電気の引込みもお金がかかり大変で、電話は無線方式、水は井戸を掘ってかなり長い間使っていました。写真は『将来、何かの役に立つだろう』と主人(故宮田好昭氏)が撮影したものです。」(宮田静子さん談)

 宮田鉄工所を中心に撮影された地域の写真、30年を経た現在、非常に貴重な資料となっています。下の空中写真は1973年に撮影されたものに各写真を撮影した方向(番号)を示したものです。若干の年数の差はあるため、区画整理事業の進捗状況が異なりますが、当時の地域の姿をよく伝えています。


宮田鉄工所(後方は武蔵野線)[1]


鉄工所内。自動車はスバル1000。走っている子供は現在、宮田かずなり市議会議員に。


江戸側堤防方面を見る[2]


鉄工所全景[3]


武蔵野線鉄橋側を見る[4]


武蔵野線と県道の交差部を見る[5]


奥右側に南流山駅、中央は神明堀[6]


現在の南流山2丁目側を見る[7]
手前は県道、上は南流山7号公園横の市道


上の写真の南流山駅部分の拡大


現在の木の地域側を見る[8]

現在の木の地域側を見る[9]

● 上の写真の木の地域を拡大したものは