新100か所を巡って

(★は私のTOP10)

 

 流山市の「新100ヶ所めぐりガイドマップ」に書かれた場所を全部行ってみよう、などということは「ホームページで100ヶ所を全部紹介する」という目的意識がない限り、普通はやらないことと思います。移動にバイクを使い、1ヶ所10〜20分程度の時間に区切ってその地の周囲を回り写真を撮りましたが、1日に十数か所を取材するのがやっとでした。「こんな場所があるんだ」とうれしくなったり、期待して行ってがっかりしたり、道に迷ったりと、色々ありましたが、これによって流山市の広さがやっと実感できるようになりました。また、道路についても以前は線でしか理解していなかったのが多少、ネットワーク的な理解に変化したようです。このことは予期しない収穫でした。

 うれしくなった場所は、人々の暮らしとの身近さを感じられた赤城神社、一瞬、「深山に入り込んでしまったか」と錯覚した思井の熊野神社、樹木に囲まれた参道が長く残っているために社にたどりつくまでの自分自身の気持ちの変化を感じられた大宮神社、子供の視線について考えさせてくれた諏訪神社、木々に囲まれた大畔の天神社、枯れた趣のある神明宮等があります。そして近くに住まれている方が神社に御参りしている姿を見ると、日々の暮らしの中にそのような場所があることを再認識させられました。また、昔の川の姿を思い出させてくれる今上落、しだれ桜越しの姿が美しい清龍院、初夏の稲の青さがまぶしい新川耕地もうれしくなった場所です。一方、つくばエクスプレスの工事などによって変わりゆく姿が痛々しい市野谷の森、桜の見納めかと総合運動公園の池などが気にかかりました。

 戦前の日本は第一次産業に従事する人たちがほとんどで、流山市の前身となる町村も、利根川流域の物流やみりんの生産などが一部にありましたが、その多くが農業を主体とする地域でした。そして常磐線沿線の開発にかかる部分が少なかったため、現在もその当時の姿が各所に留められていることを今回の取材で知りました。(流山市は市の「平成13年度研究会報告書 研究テーマ:市町村合併」の中の「資料1 各市町の歴史的な歩み (2) 流山市」で記載されていますが、昭和26年4月1日、流山町、八木村及び新川村の3町村が合併して江戸川町となり、その後、東京都江戸川区との混同により不便を生じたため、昭和27年1月1日に町名を流山町と改称されました。そして昭和42年1月1日に流山市となりました。)

 イギリス旅行で、鉄道に乗ってロンドンを少し離れると田園地帯の広がる風景を目にしましたが、都心からそんなに遠くない流山で日本的な田園風景を味わうことができるのはすばらしいことだと思います。地域を愛し、守られている方々に感謝いたします。

 

■ 散策の参考となる本

 流山市立博物館編の『流山のむかし』(改訂5版、平成元年)という左の写真の本が博物館で買い求めることができます。発行以来10年が経ち、改訂の準備が行われているようですが、202ページで500円、内容も豊富ですので散策に1冊入手するのがよいと思います。
 余談ですが、表紙の写真の航空写真には南流山の私の住む建物も写っていてうれしくなりました。

 

■ 観光マップについて思うこと

 100ヶ所を紹介した観光マップが観光協会から出されていることから、『これが観光マップに紹介されるものなの?観光にしては随分・・・』と考えていたのですが、図書館で「こんにちは流山 100ヶ所めぐりガイド」、 「こんにちは流山 100か所めぐりガイド」を見て、「100ヶ所は観光目的で選んだのではなく、流山に住む人の地域再発見に役立つことを目的に選んだものなんだ」ということに気付きました。左の「流山観光スポットTOP30」編がでていて、観光という観点からは少し「?」と思えるものもありますが、この方が内容的に整理されています。